アフリカともっとつながっていたい。何かアフリカのために、役に立つことをしたい。
その気持ちを、「とりあえず置いておく」はもうしない。
そう決めてから、ダンスのワークショップの拡大、ごはん屋さん開始、そしてギニアのゴミ問題改善に向けての模索を続けてきました。
考えるより先にまず感覚で動いてみるのが私流。動いているうちに、シングル2児の母の身で、どうしたら年明けに再びギニアに行けるか?行くからには前進するための材料を持っていきたいが、どうしたらそれが叶うか?という壁にぶち当たりました。
こういう場合。本当に私にとって事が動くべきタイミングであれば、困難はなくならないけれども、解決できるものへ変化していきます。それまでの間やるべきことは何か。
今ここで、つながりをイメージし続けること。
そうすると、今できることが見えてきます。
で、まずしたことは、脱洗濯機。正確には「ちょい脱」かな。
これ、ずーっと前からしたかった。なぜ今までしなかったかというと、脱○○=家に○○が存在してはいけないとなぜか決めつけていて、洗濯機が壊れるのをいまかいまかと待っていたんです(;´Д`)
今さら気づいた。「あっても使わなきゃいいんじゃーん!」
晴れてアフリカと同じ、手洗い生活に突入したわけです。
が。ギニアでは、私の握力でも、絞ってちょっと振ったりして干せばからりと乾くものですが、ウエッティーな日本ではそうもいかず。
脱水機能のみ、お世話になっております。ありがたや。
でも日本も昔は手洗いだったよね。ギニアだって雨期があるよね。
私の知らない脱水技術があるのかな・・・
アメリカで販売してる、全手動洗濯機はペダルを踏むとグルグル中のバケツが回るといういたってシンプルなものですが、意外と値が張るのでちょっと買う気になれない。ああいうの、作れないかなぁ。と日々考えています。
そんなことして、なんの意味があるの?と思う方もたくさんいると思います。
想像してみてください。電気を作る材料も含め、全ては限りあるもの。それをアフリカも含め、世界中みんなでシェアしているんです。世界中の人みんなが、洗濯機で洗濯したら・・・?たぶん、すぐに、地球がぶっ壊れます。
もちろん、洗濯機がなくては暮らしが成り立たない方もたくさんいます。私は、脱自動車にもすごく憧れていますが、今はできません。友人には、自転車で暮らしてる人が何人かいます。できる人が、できることをやってみる。
アフリカに行けなくても、お金の寄付ができなくても、世界のために、できることはたくさんあると思うのです。